2021年11月17日

モルゲンシュテルン(その2)

森鷗外『沙羅の木』を見ると、翻訳詩はデーメルの8篇から始まって、次にモルゲンシュテルン1篇、そしてクラブント10篇が続く。

その選びや並べ方の意図について、鷗外自身が序文で述べている。

ドイツの抒情詩は、先づ方今第一流の詩人として推されてゐるデエメルの最近の詩集から可なりの数の作が取つてある。後には又殆ど無名の詩人たる青年大学々生の処女作がデエメルと略同じ数取つてある。

デーメルとクラブントの二人についてこのように記した後で、モルゲンシュテルンについては次のように書く。

そして其中間に、盲目に籤引きをしたやうに、さ程でもないモルゲンステルンの詩一篇が挟まれてゐる。ドイツ人が見たら、いよいよ驚くであらう。しかしデエメルたることを得ずして、僅に名を成してゐる詩人の幾百幾千は誰を以て代表させても好いかも知れない。偶モルゲンステルンが其代表者となつて出ても、忌避すべきではないかも知れない。

くじ引きで選んだように、凡庸な詩人の中から、たまたまモルゲンシュテルの1篇を選んでみたというわけだ。ちょっとモルゲンシュテルンが可哀そうになってくる。

もっとも、ここには鷗外一流の韜晦がある。本国のドイツ人も「驚くであらう」という選びには、鷗外の目利きとしての自信があったに違いない。

ユーモア、ナンセンス、風刺の詩人として今では多少知られているモルゲンシュテルン。当時のドイツでの評価はどうだったのだろう。

posted by 松村正直 at 07:13| Comment(0) | 森鷗外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。