(国立国会図書館デジタルコレクションの画像より)
さらに気になるのは、河野自身が2002年に次のような歌を詠んでいることである。
子規記念博物館にて「草花帖」を求む
励まして絵筆励まして描きし子規カハラナデシコよき淡彩に
紅紫濃きと薄きを工夫してカハラナデシコ四輪を描く
たいせつなこの世の時間の一筆(ひとふで)の濃淡考へて置きしこの色
河野裕子『庭』
この歌を詠んだ時点では、河野もこの花が「カハラナデシコ」であることに何の疑いも持っていない。それがどういう経緯で2009年の歌では子規の「間違ひ」と思うようになったのだろう?