野呂邦暢のミステリ小説8篇とミステリ関連のエッセイ8篇を収めたオリジナル編集の本。
小説は記憶や死者の残した物を手掛かりに深みへ嵌まっていくタイプのものが多く、高橋克彦の記憶シリーズとも似ている。もちろん、野呂の作品の方が古いのであるが。
エッセイはどれも数ページの短さだが、小説の舞台裏を垣間見せてくれる。
ヨーカンでも時計でもいい。初めに具体的な「物」がある。それによって記憶の井戸さらえのごときことが起り、主人公の内部に深く埋れていたものが明るみに出て来る。
世界の本質は謎である。私たちはそれを解くことはできないが世界を形造ることはできる。だとすれば謎を解く必要などありはしない。
初版の同シリーズ(早川のポケットミステリ:松村注)にはひどい訳があった。クリネクスを薄葉紙と訳してあるのは時代だから仕方がないが、文章が日本語になっていないものもあって、本筋の謎よりも訳文を読み解くのがかえってミステリアスであった。そこがいいのである。
なるほどなあ、と思う。「そこがダメ」なのではなく「そこがいい」のだ。誤訳とか、勘違いとか、記憶の変容とか、そうしたものが人生には大切なのかもしれない。
「ある殺人」という小説の中で、医師が
要するにあなたは会社の仕事に追われて神経が参ってるんですよ。かるい運動をおすすめしたいな。朝の十分間、ランニングか縄とびをするとか
と言う。読んですぐに、先日観た映画「草の響き」を思い出した。小説と映画、野呂邦暢と佐藤泰志が、私の頭のなかで混ざり合う。そして、静かに記憶の底へと沈んでいく。
2020年10月25日、中公文庫、1000円。