2021年10月13日

川野里子歌集『天窓紀行』


副題は「短歌日記2020」。

2020年1月1日から12月31日まで、「日付」+「短歌1首」+「短い文章」という構成で計366首を収めている。

亀虫ひとつ畳に転がり死にてをりどこかへ行かむとしたるこの虫
道に迷ひだんだん小さくなるわれは〈ひざまくら耳かきの店〉も過ぎたり
この石をちよつと見てゐてくださいと蜥蜴去りたり陽だまりの石
難攻不落 つひに敵来ず誰も来ず誰かを待ちかね春の城跡
闇なかに牛の眼のやうなものみひらきてをり地震(なゐ)過ぎるまで
マスクをし一人乗りカヌー漕ぐやうに人を避けつつゆくなり街を
蒲鉾の聖なる白さ白くなりすがた消されてしまつた魚たち
氷上を滑りゆくやうリモートワーク、リモートワークして誰にも会わず
糸蜻蛉の交尾あまりにしづかにて睡蓮と吾と消えてゆくやう
こんなにも追いつめられしことあるか身を反らせつつ煮えてゆく鱈

1首目、人間もこんなふうに何かする途中で死ぬのかもしれない。
2首目、道に迷った時の心細さ。耳の穴に入ってしまうかのよう。
3首目、蜥蜴が去った後に残っている石。石の番を頼まれた気分。
4首目、敵に攻められなければ、石垣も堀も価値を発揮できない。
5首目、地震に遭った時の体感を生々しいイメージで表している。
6首目、ソーシャルディスタンスが盛んに言われる街中の風景。
7首目、蒲鉾は色も形も魚とは似ても似つかない物になっている。
8首目、「リモートワーク」は長音が二つあって滑らかな発音だ。
9首目、糸蜻蛉が消えるのではなく、糸蜻蛉以外が消えてしまう。
10首目、煮えてくると皮の方に反っていく。その苦しげな感じ。

文章も「人類が二足歩行になったのは、ちょっと立ち止まって考えるためではなかろうか。四つん這いではたぶん、考えられない」など、独自な発想が多くて印象に残った。

2021年8月12日、ふらんす堂、2000円。

posted by 松村正直 at 19:41| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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