歌集の寄贈文化については、近年とみに風当たりが強くなっている。歌壇内部の相互寄贈から一般に開かれた販売へ、という流れは今後ますます進んでいくだろう。
そのことについては。全く異論はない。今回考えてみたいのは、そもそも歌集の寄贈とは何だったのか、ということである。
私の考えでは、それは農村の共同作業である「結」や、お金を出し合って輪番制で寺社に参詣する「講」に近いものなのだと思う。
例えば、メンバーが500名の集団を仮定してみる。メンバーは10年に一度、2500円の歌集を500冊刷って全員に寄贈するとする。各メンバーが支払う金額は、自分が歌集を出した時に払う、2500円×500冊=125万円である。
つまり10年間(120か月)で払うのは125万円。もらうのは、500名の歌集1冊ずつ。これを月単位で考えると、毎月約1万円の会費を払って、歌集を4冊手にする計算になる。
ざっとした計算ではあるけれど、大体これくらいの感覚で歌集の相互寄贈は行われてきたと言っていいのではないか。
もちろん、相互寄贈だけでは歌壇外の方に歌集を読んでもらうことはできないし、書店等で一般に流通することもない。そもそも毎月1万円も積み立てられるかといった話にもなるだろう。
そうした問題点を抱えていることは間違いない。今後はもっと開かれた形へと変っていくのが必然だ。
でも、だからと言って、これまでの寄贈文化を単に否定するだけでいいのかという思いも残る。寄贈が果たしてきた相互扶助的な役割や意義についても、この時代の変り目にきちんと確認しておきたいと思うのだ。
2021年09月04日
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