2021年07月25日

安田純生歌集『蛙声抄』

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1977年から86年までの作品303首を収めた第1歌集。

1986年に短歌新聞社から刊行された歌集を文庫化したもの。
文庫版解説(門脇篤史)と略年譜が追加されている。

ひらひらと雪ふる宵に人ふたりはかなきものを求めて逢ひぬ
人逝きて桃みのる庭 ゆくりなく大蟻ひとつ踏みつぶしけり
昨夜見し夢ゆ来つらむ葦原に猫の骸(むくろ)をつつける鴉
あぢさゐのたわわに咲ける堤よりつき来し犬のわが夢に棲む
仰ぎ見し藤の花房まなかひにぶら下がりけり寝ねむとすれば
電話にて長く話せり母親を失ひてより明るき友と
見抜かれぬほどに抑へし怒りなり夜空あふぎて風花を食ふ
ことばなく君とあるとき山繭蛾バス待合所の壁をとびたつ
小川から瀕死の鮒をすくひあげ猫に与へつをさな児たちは
死なざりしかの真夏より賢くもまた愚かにもなりて瓜食む
馬跳びはなほも続けり硝子戸を隔て音なき夏の世界に
まなかひを白き手首の行き来して昼ひそやかにわが額(ぬか)剃らる
けふは君と来ざれど冬の森の径(みち)記憶のなかの夕だちに濡る
この世なる〈高天原〉にのぼり来し土竜の屍を裏がへしたり
おもむろに堤こえつつ川霧は村の夕べを舐めはじめたり

1首目、確かなものではなく「はかなきもの」。雪の光景とも合う。
2首目、人間の死と関わりなく実る桃。命の不条理を感じさせる歌。
3首目、夢の世界と現実の世界が繋がっているような不思議な感覚。
4首目、現実の世界で付いてきた犬が、夢の中にも入り込んでくる。
5首目、昼間に見上げた藤の光景が、寝ようとした時に蘇ってくる。
6首目、「暗き」ではなく「明るき」友。明るく振舞っているのか。
7首目、胸の内に秘めた怒りを鎮めるように、雪を口中へと入れる。
8首目、まるで二人の沈黙に耐えかねたかのように、蛾が飛び立つ。
9首目、死にかけの鮒を助けてあげたのかと思ったらそうではない。
10首目、生き延びて齢を重ねることで賢くなるのなら良いけれど。
11首目、硝子戸越しに子供たちの動きが影絵のように見えている。
12首目、不気味な感じで歌が始まって、下句で理髪店だとわかる。
13首目、かつて君と来て夕立に遭った道を今日は一人歩いている。
14首目、地下で生きる土竜にとっては地上が〈高天原〉なのかも。
15首目、「舐め」という動詞の選びがいい。川霧の体感が伝わる。

2021年3月28日、現代短歌社第1歌集文庫、800円。

posted by 松村正直 at 10:47| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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