立待崎に啄木の墓を訪ふ
さすらへ来(き)て喜び見けむ海を見つつ詩人啄木は眠りてありけり
佐佐木信綱『豊旗雲』
昭和2年に北海道を訪れた時の歌。
明治45年の啄木の死から15年後のことである。
啄木は森鷗外宅で開かれる観潮楼歌会に6回出席しており、信綱とも顔を合わせていた。初対面の明治41年5月2日の日記には
信綱は温厚な風采、女弟子が千人近くもあるのも無理が無いと思ふ。
とある。
この日の歌会は、鷗外15点、平野万里14点、啄木12点、与謝野鉄幹12点、吉井勇12点、北原白秋7点、信綱5点、伊藤左千夫4点という結果だった。
親譲りの歌の先生で大学の講師なる信綱君の五点は、実際気の毒であつた。
と、啄木は楽しそうに記している。
この時、啄木22歳、信綱35歳。
その4年後に啄木は26歳で死に、一方の信綱は91歳まで長生きして昭和38年に亡くなった。