函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
石川啄木『一握の砂』
啄木の有名な一首だが、この歌の「矢ぐるまの花」については2つの解釈がある。「ヤグルマソウ(ユキノシタ科)」と「ヤグルマギク(キク科)」である。「ヤグルマギク」を「ヤグルマソウ」と呼ぶこともあるので、余計にややこしい。
矢ぐるまの花 ― 矢車草。ユキノシタ科の多年草。北海道、本州の深山に生える。高さ一〜一・五メートル。普通五枚の小葉が矢車形につく。夏、黄白色の無弁の小花を円錐状に多数つける。
上田博『石川啄木全歌鑑賞』
「矢ぐるまの花」これは矢車草の花ではなく、セントウレアつまりヤグルマギクの花です。花形が矢車に似ているのでこの名があります。啄木がうたっているのはおそらく青紫色のヤグルマギクでしょう。イメージされているのは五月下旬か六月初旬ころのことでしょうか。
近藤典彦『啄木短歌に時代を読む』
前者はヤグルマソウ説、後者はヤグルマギク説である。
ここに書かれているように、二つの花は全く別の花であり印象も大きく異なる。ヤグルマソウは6〜7月頃に白い小さな花(萼)が密生して付き、ヤグルマギクは4〜6月頃に青紫(白やピンクもあるが)の花を咲かせる。ヤグルマソウは葉が矢車に似ているのに対して、ヤグルマギクは花が矢車に似ていることから命名されている。
では、啄木の歌の「矢ぐるまの花」はどちらなのか?
イデアでもいいのでは。
そうしておく方が概念を超えて感じ方が豊かに思います。
もともと、私もヤグルマソウもヤグルマギクも知らない時から、この歌が大好きでしたから。
花がどんな花かわからなくても十分に味わえる歌だと思います。
どちらでも構わないですし、読者としてもどちらでもいいとおもうんです。
それよりも「他でもない私がこう読むからこう感じる」、
という風に書かれている方が伝わってきます。
私こちらを無料で拝見していて、えらそうなことは言えないんですが、他の方の歌集を一首ずつ引いた短い解説も、
読んでも読まなくてもどちらでもいいことが書いてあります。
〜していたのだろう、
とか
〇〇(ママ)しているのだ
というふうに
理解の強さはあるけれど深みがないみたいな、、、
歌の良さがしんでると思う時もあります。
すみません。