
270首を収めた第1歌集。
作者は『「よむ」ことの近代』『プロレタリア短歌』などの著書がある松澤俊二さん。
春へ向かう矢印がすっと伸びているいつか桜の咲くはずの坂
朝に降る雨なら嫌いではないな トマト畑にトマトは濡れて
鳩の目と静かに対(むか)いあいながら二時ゆっくりと玉子焼き嚙む
待ちあわせて何か食べようカレーとかうどんとかカレーうどんとか
もう秋か、なんて一人で言っている人は誰かに聞いて欲しくて
コンビニで一五〇円のコーヒーを待っている窓越しに木枯らし
冬の朝は熱いスープをすすりつつ思う 鳥には舌があったか
テキパキという音は口ずさむものIKEAのベッド組み立てながら
春曙抄(しゅんじょしょう)伊勢を枕に寝しという少女の家のあたりかここは
春の舟春の水夫も去らしめてしずかに満ちてくる海の水
自転車のあたまいくつか寄せ合って話しあう海にいく計画を
夕焼けの岬に若き日の父母を写して去りし人も旅びと
1首目、冬から春へと向かう季節。桜の咲く様子を思い描いて歩く。
2首目、あまり強くはない雨だろう。トマトが瑞々しく感じられる。
3首目、公園などで弁当を食べている場面。少し遅めの昼食である。
4首目、結句を読んでもっと選択肢はないのかと突っ込みたくなる。
5首目、秋という季節の寂しさ。ふと気がつけば秋になっている。
6首目、ドリップされるのを待ちながら何気なく窓の外に目をやる。
7首目、唇や舌に意識が向いている時に、ふいに疑問が頭に浮かぶ。
8首目、確かにテキパキは擬態語でありつつ擬音語でもあるような。
9首目、上句は与謝野晶子の歌。晶子の生家のあった堺を歩きつつ。
10首目、河口付近の川を眺めている。上句は幻の過去の風景か。
11首目、「自転車のあたま」がいい。若々しさが伝わってくる。
12首目、古い写真を見ながらシャッターを押してくれた人を思う。
2021年5月25日、港の人、2000円。