本人がどれだけ年齢を重ねても、二〇歳のときに出来上がった「天安門の王丹」の姿は彼を一生涯にわたり束縛する。かつて中国政府が彼を政治犯として押し込めた遼寧省の錦州監獄からは無事に釈放されても、過去の牢獄から出ることは永遠にできない。
事件当時、彼らがまだ20歳や21歳の学生だったことを思うと、その運命はあまりに過酷だ。60年安保闘争時の全学連委員長だった唐牛健太郎や、全共闘運動時の日大全共闘議長だった秋田明大のことなども思い浮かぶ。
天安門事件に関わった人々の「その後」は様々だ。国外に亡命して民主化運動を続けている人もいれば、考えを変えて実業の世界で成功している人もいる。事件の影響で人生が大きく変ってしまった人、今では事件を否定的に捉える人など、一人一人違う。
かつて現代中国史上で最大の事件に直面した人たちの日常は、今日も淡々と続いていく。大志を抱いた孫悟空の人生は、実は筋斗雲を降りてからのほうが長かったのだ。
「民主化は善」「弾圧は悪」といった正論だけでは見えてこない個々の人生や苦悩。それらを見事に浮き彫りにした一冊だと思う。
2021年5月10日、角川新書、1000円。