2021年06月07日

人間の展示

19世紀から20世紀にかけて欧米や日本の博覧会において、しばしば植民地の人々や少数民族の村の展示が行われた。1903(明治36)年に起きた人類館事件などがよく知られている。
https://matsutanka.seesaa.net/article/480261048.html

1912(大正元)年に上野公園で開催された「拓殖博覧会」でも、「台湾生蕃」「北海道アイヌ」「樺太オロツコ」「満州土人」などの展示が行われた。(『拓殖博覧会記念写真帖』より)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904743

この博覧会を詠んだ歌がある。
窪田空穂『濁れる川』(大正4年)に収められている歌だ。

うち群れて人が遊べるそのなかに交りてあれば楽しきものを
       (四首、拓殖博覧会を観に行きて)
人食らふこの生蕃も妹と背と相住みてその子あやしをるかも
人食らふ生蕃の子のかなしくもさかしき眼してもの眺めをり
大君はかしこしこれのアイヌをも生蕃人もみ民としたまふ

「生蕃」(原住民)の家族や子どもの様子を見て、最後は天皇の徳を讃える内容となっている。「人食らふ」という偏見をはじめ非常に差別的な内容であるが、これが当時の平均的な感覚であった。

歌集には亡くなった「少年職工」を悼む連作や旅先で目にした「製糸女工」を詠んだ歌などもあり、空穂が人並み以上に弱者への思いやりに深い人物であったことがよくわかる。だからこそ、こうした差別の問題はいっそう根深いと言えるのだと思う。

posted by 松村正直 at 23:52| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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