
2012年から2020年までの作品461首を収めた第6歌集。
修辞的な完成度が高く、印象的な歌が多い。
仄かなる明かりに浮かぶ絵を見をりここにはをらぬひとと並びて
窓硝子に部屋の灯りのうつりゐて子規の眼(まなこ)のありし秋の夜
ただひと度啼きたる蟬のそののちの震へぬからだ幹にあるらむ
室内の翳りを映す紙のうへに雪を見てゐし眼を戻したり
ひとのをらぬ部屋に入りて水仙のかをりのなせる嵩をくづしぬ
つややけき墨の面にふるる穂にたちまちにして墨は昇りぬ
かなしみを晒すごとくに灯のしたの林檎の皮に刃をくぐらせつ
あけゐたる窓ゆ夕蟬のこゑは入り子供にあらぬわれに夏来ぬ
身をゆすり網戸をのぼるかまきりをながく見てゐつ猫とわれとは
ひとつ、ふたつ咳聞こえたりしばらくを映写のまへの暗がりにゐつ
天井画を足場に乗りてゑがきたるミケランジェロの汗は垂りけむ
小石の影のうへに小石を置くやうにたしかめてをり今のこころを
唇にうすき硝子をはさみつつみづを飲みたり明けがたのみづを
枝先をふるはせめじろ去りしのち硬き一月の木にもどりたり
影となりあゆめる蟻を落としたり日傘の内を指で弾きて
1首目、誰かのことを思いながら、美術館でひとり絵を見ている。
2首目、子規庵を訪れて、かつてそこに存在した子規の目を思う。
3首目、もう鳴き声はしないが、蟬の存在を生々しく感じている。
4首目、窓の外の明るい雪をしばらく見て、また本を読み始める。
5首目、目に見えない香りを「嵩をくづし」と視覚化したのがいい。
6首目、毛筆の穂先に墨が染み込んでいく様子。官能的でもある。
7首目、「くぐらせ」という動詞の選びが抜群。皮の下を刃が通る。
8首目、「子供にあらぬ」と詠むことで、子供時代が甦ってくる。
9首目、結句に猫が出てくるのがいい。一対一ではなく三角関係。
10首目、館内が暗くなって映画が始まるまでの、緊張感と期待感。
11首目、「汗は垂りけむ」によって、絵を描く場面が再現される。
12首目、小石と影の関係が反転しているような不思議な感じだ。
13首目、「はさみつつ」が抜群。確かに唇で挟んでいると気づく。
14首目、鳥がいる時といない時で、木の印象が変わってくるのだ。
15首目、映像を見ているような美しさ。指の動きに優しさがある。
2021年4月3日、砂子屋書房、3000円。