戦は竟に不可避と知りつつも夜襲に向ふ我が道くらし
『渡辺直己歌集』
例えば、この歌もそうだ。初出は「アララギ」昭和12年11月号。
渡辺が中国へ向けて広島の宇品港を出港したのは11月23日のことなので、これはまだ出征前の歌ということになる。結句には斎藤茂吉の歌の影響が濃い。
ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし
ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍(ほたる)を殺すわが道くらし
斎藤茂吉『赤光』
けれども、『渡辺直己歌集』(昭和15年)においては、この歌は出征後の歌として配列されている。「人々の恵みを享けて出でて行く我をぞ思ふ宇品埠頭に」などを含む「征途につく」8首の後に、「戦線に向ふ」という小題で載っているからだ。
『渡辺直己歌集』は渡辺の没後に編まれたものなので、その配列は編集者の手によるものである。編輯後記には
故人の戦歴を審にすることの出来ない吾々は、是等作品の排列に関しては相当に苦心を要したのであるが
と書かれている。「宇品埠頭」の歌は生前未発表で、昭和12年頃と推定される「手帖」から引かれたものだ。出征前に戦闘の歌はあってはおかしいという判断のもと、歌集ではこういう配列になっているのだろう。