大正9年に行われた陸軍大演習に参加した時の歌「鳩車長となりて」という一連5首を見てみよう。
福岡、大分両県に於て挙行せられし陸軍大演習に
北軍鳩車長として参加す
放鳩演習
昼すぎてしきりに睡(ねむ)き眼の前の地(つち)に影おとし鳩かへり来ぬ
いちはやくわが手のうちの餌を覓(と)めて舞ひ下る鳩はいつもこの鳩
鳩車往来
ことごとく稲は刈られて鳩車みちけさは田の面(も)を斜によぎる
暁(あけ)の田にこる靄ふかみ遠つ嶺ろ低きはかくれ高きはうかぶ
立石南軍鳩車見学
山峡(やまかひ)は日あたる遅しこのあさけ鳩舎(とや)ぬちの鳩みなふくれ居り
南北両軍に分かれての大規模な演習で、皇太子(後の昭和天皇)の観兵式も行われた。「鳩車」は鳩を運搬するための箱型の荷車のようなもののこと。
この演習については『大正九年度 皇太子殿下行啓陸軍特別大演習記念写真帳』(国会図書館デジタルコレクション所蔵)に、詳しい写真や説明がある。
おお、「軍用鳩」の写真も載っているではないですか!
北軍所属の軍用鳩班は八屋、南軍所属の同班は立石町を各根拠地として何れも演習の推移に伴ひ種々の方面に活躍 相当の効績を収めた 写真(右)は班員に懐かしむ可愛らしき鳩の群 (下)は将に使命を帯びて鳩舎より放たれたる鳩群
う〜ん、ますます興味深くなってきた。
関連https://www.lib.sagamihara.kanagawa.jp/toshow/cms-files/03_hashimoto/HakkenSagamihara_No63.pdf
コメントありがとうございます。
相模原はかつて軍都で、小田急の「相模大野駅」は「通信学校駅」だったんですね。町田に住んでいても、そういう歴史はあまり知らなかったなあ。通信の部隊にはやはり伝書鳩が不可欠だったようで、興味津々です。
今ぼくの住んでいる伏見の深草・藤森地域も、かつて陸軍第16師団のあったところで、京阪「藤森駅」はもともと「師団前駅」だったそうです。いろいろ調べると面白いですね。