2022年実施予定の高校の学習指導要領については様々な批判が出ているが、本書はそこに書かれた文章をもとに、
他者と生きる術を学ぶのが「文学国語」なら、それは「近代文学」の出番ではないか
という命題を立て、近代文学の成り立ちについて論じたものである。
第1章「「私」を疑う」から始まって、「他者」「物語」「世界」「作者」「読者」と、文学に関する要素が章ごとに一つずつ批判的に検討されていく。
この国は「キャラ」としての「私」というフィクションを「一人称言文一致体の文学」として明治期に誕生させ、しかしそこで書かれた「私」は本当の「私」だと多くの「作者」が言い、「読者」も長い間、そう信じ込んできました。そして、その約束ごとが現実生活では瓦解しながら、いざ、「文学」のこととなると、未だ、それは生きているわけです。
短歌の世界では、10年おきくらいに「私性」の問題が話題となり、同じような議論が延々と繰り返されている。けれども、それは短歌というジャンルの中だけで考えたり議論していても仕方がなく、もっと広く文学全般や物語論といった枠組みで考えなければ話が進まないのだろう。
SNSで語られることを担保するのはそれが「私」が語っているからでしかないのに、しばしば人は新聞記事や学術論文よりもSNSの「私」の言うことの方に信憑性を見出すわけです。
このように「私」をめぐる問題は、文学の中だけにとどまらず、SNSの時代の社会問題としても根強く残っているのであった。
また、明治になって東京に人々が集まるようになった際に必要となったツールとして、著者が「言文一致体」「告白」「観察」という3つの手法を挙げている点も印象に残った。
このうち「告白」と「観察」の2つは、まさに近代短歌の方法論とも重なる部分である。
他にも示唆に富む指摘が盛りだくさんで、知的好奇心を大いに刺激される一冊であった。
2020年10月23日、星海社新書、1050円。