2021年03月18日

平井弘歌集『遣らず』

著者 : 平井弘
短歌研究社
発売日 : 2021-03-12

391首を収めた第4歌集。

語り掛けるような口調や暗喩的な表現を用いて、現代の社会や政治状況について繰り返し問い続けている。全体に不安や危惧の色が濃く、記憶や無意識を浮かび上がらせてくるような感触がある。読んでいるうちに、何が確かなことであるのか次第にわからなくなってくる。

いつのことだか思ひ出してごらんだからあんなことなかつたでせう
どの本棚からだつてほんたうのところアンネのへやへはひれます
はじめから手に鎌などついてゐたらたまらなからう蟷螂ひとつ
おほいのは差別にならず三ぼん脚のからすがボールを押さへる
自販機みたいでどうもいけない夜どほしあかるいこのさきのさくら
きのふからそこだつたか花梨の実もうひとつしたの枝とおもふが
おほすぎるとだれも摘まないつくし数つてさういふことだつたんだ
ほんたうに桃とおもへるうちはいい桃だから手にとつてごらんよ
とびあがつたのは鴉の影のはう押さへるところはおさへてゐる
沈んだところのふたつてまへまではみづ切りの石もその気だつた
まだいいからおまへが鴉だつたときにみたことを話してごらん
熱があるのよねと触れてくる手の湿りがどうしやうもなくをんな
蟹くひざるつてのは弱いはうが喰はれつぱなしつてことだものね
寄り道せずに帰つておいでかへれるのをよりみちといふんだけど
どこでどう越えたものだかおもしろいね川がですね右になります

1首目、事実がなかったことにされ記憶が消されていくことの怖さ。
2首目、私たちの暮らしも、一歩入ればアンネの部屋に通じている。
3首目、前脚が鎌でなければ蟷螂は違う生き方をしていたのかも。
4首目、サッカー日本代表のエンブレムにもなっている八咫烏。
5首目、ライトアップされた桜はどこか人工的な空々しさをまとう。
6首目、大きな花梨の実を見ていて、自分の記憶があやふやになる。
7首目、人間の心理を鋭く突いた歌。たくさんあると価値が下がる。
8首目、桃と思っているものが本当に桃なのかがわからなくなる。
9首目、鴉の本体は押さえていて、影だけが飛び上がっていくのだ。
10首目、水に沈む直前までは自分が沈むことになると気づかない。
11首目、こう言われると自分が以前は鴉だったような気分になる。
12首目、女性に対する恐れや怯えの感情が「湿り」から伝わる。
13首目、なるほど、猿蟹合戦というのは弱者が強者に勝つ物語か。
14首目、もう元の場所には帰れなくなってしまいそうな怖さだ。
15首目、左に見えていたはずの川がいつの間にか右に見えている。

言葉の多義性を含む詠み方なので、様々な解釈が可能だろう。何人かでじっくりと読み合ってみたくなる歌集だ。

栞に載っている平井本人の「「遣らず」ト書き控え」は、この歌集について多くのヒントを与えてくれる。でも、自ら解説してしまうのは少し無粋かもしれない。

2021年3月10日、短歌研究社、2500円。

posted by 松村正直 at 16:02| Comment(4) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです。なんと平井弘さんの新歌集刊行ですか、全然知りませんでした。

松村さんのコメント15首分どれも秀逸ですねえ。特に10首目への「自分が沈むことに」云々がおもしろい。1首目は「おもいでのアルバム」から、と「ト書き控え」に書いてありますか?
Posted by なかにしりょうた at 2021年03月19日 01:40
中西さん、お久しぶりです。
『プレス・コードの影』『戦争と歌人たち』の書評、読みました。ZOOMの某研究会でも質問する中西さんの姿を拝見しましたよ。

1首目は「おもいでのアルバム」のパロディーですね。説明不足だったのですが、「ト書き控え」というのは、歌集『遣らず』に入っている連作「遣らず」の初出形(おそらく)が載っているだけです。

初出では戯曲のような体裁になっていて、ト書き(詞書)が多く付いています。それを読むと短歌の意味がよくわかるわけです。

例えば、「いまになつて手なんかお振りで雨のなかだよおまへいつておあげよ」「くわんこの声も旗の波もいいねそんなものおなじでいいねいいね」という歌の前には「背後のスクリーンに平成の皇居、皇族たち手を振っている。バンザイの波。舞台溶暗。」というト書きが付いています。

これで非常にわかりやすくなるわけですが、読者としてはつまらなくなってしまう面もあります。歌集では、このト書きは省かれて、歌だけが(順番も入れ替えて)並んでいるわけです。

これは「遣らず」という一つの連作の話ですが、平井弘の歌作りの舞台裏というか、方法論がよくわかる感じを受けました。
Posted by 松村正直 at 2021年03月19日 07:05
中根さんが研究発表された会ですか、松村さんもいらしたんですね。拙文のことも恐縮です。

なるほど戯曲の体裁ですか。ト書きがあるのとないのとどちらがよいか、難しいところですね。詞書の問題と同じですね。作者はト書きも捨てがたいと思ったのでしょう、栞に残したのだから。

「いまになつて」「くわんこの声も」どちらもいい歌だと思います。ト書きが付いてもまだ解釈の余地がありそうなので、それはそれで作品として成立するかもしれません。

ただ「くわんこ」の仮名書きはどういう意図ですかね。歓呼の声に送られて、は戦時中の慣用表現ですが、平仮名では分かりにくいでしょう?
Posted by なかにしりょうた at 2021年03月19日 22:18
「くわんこ」の表記についてですが、全体に平仮名を多用しています。引用していて気付いたのですが、一首を28字〜30字に収めようとしているのかもしれません。だいたい、どの歌も同じ長さになっています。

「くわんこ」の歌は、出征の見送りとか、SNSの「いいね」とか、いろいろイメージを膨らませて読みました。
Posted by 松村正直 at 2021年03月20日 06:27
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