救急科専門医として救命救急センターで働く作者の歌集。240首。
胆汁のごとき匂いと色をしてカンファレンスで冷めた珈琲
デジタルの時刻表示をちらり見て死亡宣告本人へする
鼻腔より死後処置液を入れられて業者専用出口より出る
獣医なら殺処分するための服こちらと向こうを行き来する我
汗よりも落としておきたいもの多く院内シャワーの空きを待つ列
パトカーを降りて検死に臨むとき白衣の袖を二度折り返す
重症者多く減る日の特徴は決まって朝の寒さ厳しく
逝きて後PCRの結果出て今年の冬に人は二度死ぬ
メス置けば励ますことが救急の医師の仕事の八割である
呼吸器を外せばすなわちこの世とは一つの大きな肺胞である
1首目、「胆汁のごとき」が生々しい。医療従事者ならではの比喩。
2首目、亡くなった本人はもう声を聞くことはできないのだけれど。
3首目、遺体は葬儀会社により運ばれる。生きた人とは違う出口で。
4首目、鳥インフルエンザや豚コレラの現場でも防護服が使われる。
5首目、シャワーを浴びて強いストレスや鬱屈を洗い流すのだろう。
6首目、下句の具体が効いている。現場の緊迫感が伝わってくる。
7首目、回復したのではなく亡くなったのだ。寒い日には特に多い。
8首目、死後に感染が判明して新型コロナの死者数に加えられる。
9首目、医学的に最善を尽くすだけでなく励ますことが大事なのだ。
10首目、地球上の人はみな同じ空気を吸い一つにつながっている。
2021年2月7日、書肆侃侃房、1500円。