2021年02月21日

石堂淑朗『将棋界の若き頭脳群団(チャイルドブランド)』


約30年前の本を読む。

脚本家・評論家で将棋の観戦記も書いていた著者が、当時「チャイルドブランド」(=幼くして一流)と呼ばれていた羽生善治たちについて記した本。彼らの強さの理由や将棋界の変化を、かなり批判的に分析している。

升田幸三はじめ人間味溢れる棋士を理想とする著者にとって、羽生たちは強さこそ認めざるを得ないものの、決して認めたくはない存在であったようだ。

新人類、リズムとメロディーとハーモニーの違う将棋を指すCBたちが、どうしてこうも一挙にまとまって出現したのか
羽生のように何でもこなすという感性は、相撲でいうとなまくら四つの、せいぜい関脇クラスのものだといわれてもしかたないのである。
それが成立するのは、ゲーム将棋だからである。ゲームである以上は、勝てばよい。どんな手を指しても勝てばよい。

何とも、散々な書きようである。でも、嫌な感じはしない。自分の信じる将棋のあり方からすれば到底受け入れられないものを、何とか理解しようと努めている。そこに嘘はない。

現在光り輝いているCBが、三十のころいったいどのような運命をたどっているのか、ここには意地悪い好奇心が潜んでいることを認めざるをえないが、しかしこれもひとつの人生の相であると思えば、やはりだれがいったい三十まで息が続くのか、ぜひぜひ見たく思っている。

「三十まで息が続くのか」と揶揄された彼らは、実際には三十歳どころか五十歳になった今も第一線で活躍を続けている。若い時だけではなく、実に息の長い輝きを放つ世代となったのだ。

著者の予測は外れたわけだが、それはあくまで結果論。この本は二十歳代前半だった彼らが当時どのように見られていたのかを伝える貴重な記録となっている。

1992年10月15日、学習研究社、980円。

posted by 松村正直 at 22:48| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
かつて、芹沢八段も羽生九段のことをけれんみのある将棋と見ていました。当時は谷川名人が理想の将棋でした。どの世界でも理解を超えた才能は理解されないのかもです。ただ、チャイルドブランドと言われた世代も残ったのは羽生・佐藤・森内の三名でした。才能とは残酷だと思います。
Posted by いわこし at 2021年02月22日 20:58
故芹沢八段の話も載っています。「芹沢が再起をかけて戦い始めた年度の冒頭の対局で、中村は大逆転で負かした」「新宿の小さな酒場の片隅で、負けた芹沢がすべてをあきらめた表情で淡々と飲んでいた姿にもうもうと立ち込めていた、生涯の悔いの残滓の雰囲気を私は終生忘れることはあるまい」

将棋やスポーツ(個人戦)の場合、勝敗がはっきりするので大変ですよね。言い訳も弁解も通用しない世界。でも、その厳しさがあるからこそ、見る人を引き付けもするのでしょう。
Posted by 松村正直 at 2021年02月22日 21:45
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