2013年から2016年までの作品489首を収めた第8歌集。
ゆく春の思はざる寒(かん)ふかき夜をヨブ記は終はりヨブ死ににけり
かの宵の電話にいたく優しかりき然(さ)うか訣れを告げてゐたのか
井戸端に手桶は並びなみなみと湛ふる水のみな暮れてをり
紫陽花のいたく汚れて枯れのこる脇坂歯科の裏木戸あたり
落としどころ考へながらのぼる階を鈴ふるごときこゑのくだり来
鉄瓶も鰹節(かつぶし)削りも擂り鉢もくりやを去つて復た還らざらむ
月かげのあまねく注ぐ芝の上を影濃やかに蟷螂は在り
女房に逃げられましたと暗く告ぐ逃がしてやつたと思ひたまへよ
鶏粥に香るシャンツァイ撒き散らし混ぜくりまはし掻つこむ俺は
静かなる風情に鋪道(みち)ゆく柴犬がダックスフントを無視するところ
1首目、ヨブ記を読んでいる作者。下句の前後関係の逆転が面白い。
2首目、ほどなくして亡くなった相手。後から思えばという後悔。
3首目、「みな暮れて」は当り前のことなのだが、情感のある描写。
4首目、「脇坂歯科」という名前がよく効いている。絵になる光景。
5首目、「落とし」「のぼる」「くだり」と、上下の動きが続く。
6首目、昭和の頃にはどの家庭にもあった物。失われると戻らない。
7首目、「濃やかに」がいい。芝の上にくっきりと影が映っている。
8首目、同じ出来事でも見方を変えただけで随分印象が違ってくる。
9首目、複合動詞三連発に勢いがある。食べる前から美味しそう。
10首目、柴犬の澄ました感じが伝わる。意識はしているのだろう。
空豆の茹(う)であがりたるを啖らひつつ何おもふなくひとときは過ぐ(2013年)
茹でたての空豆にほふ食卓に羽いぢらしき小蠅の飛び来
(2014年)
茹であがり緑にけぶるそらまめを掌(て)にのせ俺はくたびれたる人(2015年)
茹でたてのそら豆のあさき緑色を喰ふ縹渺の世のひと俺は
(2016年)
毎年、茹で立ての空豆の歌が出てくる。きっと好きなのだろう。
季節のものなので毎年その時期になると詠んでいるのだ。
2020年11月10日、角川文化振興財団、2600円。