2021年01月18日

島田修三歌集『露台亭夜曲』


2013年から2016年までの作品489首を収めた第8歌集。

ゆく春の思はざる寒(かん)ふかき夜をヨブ記は終はりヨブ死ににけり
かの宵の電話にいたく優しかりき然(さ)うか訣れを告げてゐたのか
井戸端に手桶は並びなみなみと湛ふる水のみな暮れてをり
紫陽花のいたく汚れて枯れのこる脇坂歯科の裏木戸あたり
落としどころ考へながらのぼる階を鈴ふるごときこゑのくだり来
鉄瓶も鰹節(かつぶし)削りも擂り鉢もくりやを去つて復た還らざらむ
月かげのあまねく注ぐ芝の上を影濃やかに蟷螂は在り
女房に逃げられましたと暗く告ぐ逃がしてやつたと思ひたまへよ
鶏粥に香るシャンツァイ撒き散らし混ぜくりまはし掻つこむ俺は
静かなる風情に鋪道(みち)ゆく柴犬がダックスフントを無視するところ

1首目、ヨブ記を読んでいる作者。下句の前後関係の逆転が面白い。
2首目、ほどなくして亡くなった相手。後から思えばという後悔。
3首目、「みな暮れて」は当り前のことなのだが、情感のある描写。
4首目、「脇坂歯科」という名前がよく効いている。絵になる光景。
5首目、「落とし」「のぼる」「くだり」と、上下の動きが続く。
6首目、昭和の頃にはどの家庭にもあった物。失われると戻らない。
7首目、「濃やかに」がいい。芝の上にくっきりと影が映っている。
8首目、同じ出来事でも見方を変えただけで随分印象が違ってくる。
9首目、複合動詞三連発に勢いがある。食べる前から美味しそう。
10首目、柴犬の澄ました感じが伝わる。意識はしているのだろう。

空豆の茹(う)であがりたるを啖らひつつ何おもふなくひとときは過ぐ(2013年)
茹でたての空豆にほふ食卓に羽いぢらしき小蠅の飛び来
(2014年)
茹であがり緑にけぶるそらまめを掌(て)にのせ俺はくたびれたる人(2015年)
茹でたてのそら豆のあさき緑色を喰ふ縹渺の世のひと俺は
(2016年)

毎年、茹で立ての空豆の歌が出てくる。きっと好きなのだろう。
季節のものなので毎年その時期になると詠んでいるのだ。

2020年11月10日、角川文化振興財団、2600円。

posted by 松村正直 at 18:19| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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