2020年11月25日

「塔」2020年11月号(その1)

引きながら断つ刃物なり若鶏のうすくれなゐの胸のふくらみ
                   梶原さい子

鶏肉を調理している場面だが、「うすくれなゐ」「ふくらみ」という言葉があることで、まるで生きているような生々しさが生まれる。

石仏に生まれ変わりて一日をお供え物で暮らすのも良し
                   紺屋四郎

発想が何とも言えずおもしろい。大量にお供えがあるわけではないが、全く放置されているわけでもない。その加減がちょうどいい。

マスクをつけたままご参列いただけます 遺影のみマスクなしで笑顔で
                   小林真代

葬儀の場面でも今やマスクが欠かせないのだろう。マスクする参列者の中にあって、マスクしてない故人の遺影に着目したのが印象的だ。

右だけを陽にさらしつつ永遠にうなずく春の御地蔵様は
                   吉岡昌俊

彫られた時の顔のまま、据えられた時の向きのまま、地蔵は立っている。東向きに立っているので顔の右半分だけが陽を受けているのだ。

物解りよき娘として応対す実家の電話に出る夏の居間
                   芦田美香

帰省した実家で電話に出た場面。「母がいつもお世話になって…」といったやり取りか。ふだんは決して「物解りのよき娘」ではない。

どこからか連れてこられたと母は言ふ鍾乳洞のやうな眼をして
                   一宮奈生

認知機能が衰えた母と話をしているところ。「鍾乳洞のやうな」という比喩が胸にささる。母が少しずつ離れていってしまうような不安。


posted by 松村正直 at 11:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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