2020年10月28日

森岡皐中将

藤森神社の国旗掲揚柱についてネットで調べていて、近くの京都医療センターにも戦争関連の記念碑があることを知った。神社から歩いて約10分の距離。

私の住む京都府伏見区深草地域は、かつて陸軍の第16師団が置かれていたところなので、戦争に関わるものがたくさん残っている。

京都医療センターは旧国立京都病院。その前は京都陸軍病院だったところである。正門から入って一番奥まったところ、敷地の南東の隅に記念碑は立っていた。


 P1080253.JPG

「京都陸軍病院跡」の碑。
これは昭和59年に建てられた比較的新しいもの。


 P1080249.JPG

行啓記念碑。
昭和16(1941)年5月18日に皇后が京都陸軍病院を慰問されたことを記念したもので、こちらは古い。


 P1080259.JPG

近寄ってみると左側に「京都師団長森岡皐謹書」とある。
当時、第16師団長を務めていた森岡皐(すすむ)中将の揮毫だ。


 P1080251.JPG

森岡皐。
歌人森岡貞香の父である。

posted by 松村正直 at 07:14| Comment(2) | 戦争遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。行啓記念碑の揮毫を森岡貞香さんのお父様がされていたとは、発見でございますね。京都へいらしてたんですね。

先日のお写真につきまして国旗掲揚柱と記しましたが、石の部分に限れば「国旗掲揚台」とする記事が多いです。一本の石柱にポールを固定するケースと、二本でポールを挟み込むケースがあったようです。
Posted by 吉田達郎 at 2020年10月28日 21:38
なるほど、国旗掲揚台ですか。確かに、柱を取り付けるための土台という感じですね、京都の東本願寺にもあるようなので、いつか見に行ってこようと思います。
Posted by 松村正直 at 2020年10月29日 08:47
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。