近所にある藤森神社を散策。
手水舎の裏側の目立たないところに立っている忠魂碑。
観光客も来る境内にあってエアポケットのようになっている。
近づいてみると、けっこうな大きさだ。
揮毫は大阪の第4師団の師団長を務めていた塚本勝嘉中将。
裏面を見ると、建立されたのは1906年6月とわかる。
日露戦争が終った翌年である。
境内北側の通用門近くにある「京都歩兵聯隊跡」の碑。
第9聯隊(京都)と第38聯隊(伏見)の業績を伝える内容で、1968年の建立。
歩兵聯隊跡碑の近くに、古い小さな石碑を見つけた。
「大東亜戦争」までは読めるが、その後の2文字(?)が薄れて読めない。何て書いてあるのだろう?
国旗掲揚柱だったらしく、「大東亜戦争」の後は「記念」と彫られているようです。説明とくずし字のアドレスを貼っておきます。
https://ja.foursquare.com/v/大東亜戦争記念-国旗掲揚柱/524b6af811d2708117cc8ff0
http://codh.rois.ac.jp/char-shape/unicode/U+8A18/
http://codh.rois.ac.jp/char-shape/unicode/U+5FF5/
松村さんの歌論、旅行記、謎追跡記事はいつも勉強になります。ありがとうございます。
「記念」ですか!確かに、そのように読めます。なるほど、国旗掲揚柱だったのですね。これでスッキリしました。御礼申し上げます。