犬連れて吠えられし家通りたりわが犬は逝きかの犬も居らず
加藤武朗
家の近所を歩いていて、ふと甦ってくる記憶。作者の飼い犬もその家の犬も、今ではもういない。過ぎ去った歳月を思い死んだ犬を思う。
森の中で動物たちと暮らしたしと思いしころの未来ぞ今は
浅野美紗子
「大きくなったら森の中で動物たちと暮らしたい」と夢に思い描いていた子どもの頃。その夢と現実の生活は、当然ながら同じではない。
(→任天堂のゲーム「あつまれどうぶつの森」のことではないかとの指摘をいただきました。なるほど。)
朝の八時に〈その十三〉を受け取って会社の喘ぎを通達にみる
竹田伊波礼
自宅でテレワークをしていると会社から多くの指示がメールで送られてくる。「喘ぎ」がいい。慣れない事態に会社も右往左往している。
夜空見て「ほし」と言う子の指先に月という名の星はかがやく
宮脇 泉
「ほし」という言葉を覚えたばかりの小さな子。大人は月のことを星とは言わないが、よく考えると月も夜空に光る星の一つなのだった。
わたしのなかに逆さに眠るこうもりのよく見たら足がくくられている
椛沢知世
下句が印象的な表現。私の中にこうもりがいるだけでも不気味だが、その足が括られている。無意識の不安や怖れ、束縛などを感じる。
古書店で買ひにし本を図書館に返してしまひさうな休日
森尾みづな
本を読み終えて「さあ図書館に返しに行こう」と思ったのか。新刊の本とは違う独特の手触りや匂い。自分だけののどかな休日の時間。
独り居の老女逝きたり六人の名連ねしままの表札ありぬ
山ア惠美子
かつては賑やかな家族が住んでいた家。子が家を出て夫が亡くなり、一人残った老女。かつての記憶を大事にしながら亡くなったのだ。
シリアルを牛乳で染め真っ白な一日ぶりの今日が始まる
吉原 真
「一日ぶりの今日」が面白い表現。前日も全く同じように朝食にシリアルを食べたのだ。繰り返される日常の感じがよく伝わってくる。