2020年10月03日

近藤芳美と高安国世記念詩歌講演会

1990年から94年まで五回にわたって京都で「高安国世記念詩歌講演会」が行われた。第1回のプログラムは、近藤芳美「高安国世と現代短歌」と中西進「現代短歌と万葉集」。

この第1回の講演会の記録などは見当たらないが、永田和宏さんがかつて話の中で触れたことがある。

近藤芳美さんを第一回の高安国世記念詩歌講演会にお呼びしたんですが、その時おっしゃった言葉よく覚えています。これから君たちが高安国世を語り継いでいかないとだめなんだというふうに近藤さんおっしゃいました。
  講演「高安国世の世界」(2009年現代歌人集会秋季大会)

この時のことも、近藤芳美は歌に残している。

夏盛る街を追憶のために来つ高安国世君に知ること
蟬の声しみらに昼の街にあり高安国世生死を隔つ
生き方といえることばの直接にその日歌あり若くして遭う
「詩」は「思想」日本の戦後に相求めうたう歌ありきなべてときのま
苦しめば東京に出るを待ちて迎う炎のごとかりき吾ら分けしとき
一度の青春一度なる友情と壇にいえば和子夫人の涙拭きます
                  『風のとよみ』

戦後の一時期の近藤と高安の交流の深さが窺われる内容だ。
「塔」1990年9月号の編集後記に永田和宏は、

□七月二十九日、高安国世記念シンポジウムが無事終った。百五十名程度の参加を見込んでいたのだが、その予想を見事に突破して、参加者数は約二百五十名。(…)会場は満席で、冷房の効きもいまひとつといった熱気であった。

と書いている。講演会は予想以上の盛況だったようだ。

posted by 松村正直 at 00:29| Comment(2) | 近藤芳美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
永田先生と7月に逝去された岡井隆さんの1982年の対談の中で、近藤芳美の戦争反対の歌について、岡井さんが
「残念なことだけど、ぼくは自分の先生だから言いにくいけれども、感動しませんねえ、はっきり言って」
とおっしゃっていました(『私の前衛短歌』永田和弘著より)。
岡井さんの主張は、近藤芳美だったら朝鮮にいた頃の自身の体験を詠んだほうが、志を後の世代に伝えられるのではないか、ということであり、私もその通りだろうと思いました。
時代の実体験のある近藤芳美ならともかく、さもなければ、短歌が単なるプロパガンダになってしまうように思います。
Posted by 小竹 哲 at 2020年10月04日 11:33
確かに後期の近藤芳美の戦争反対の歌には、抽象的でスローガン的なものも多いですね。ただ、戦前の朝鮮半島での体験を詠んだ歌は第1歌集『早春歌』にけっこうあります。

自らはなれ土掘る鮮人人夫と苦力(クリー)の人種意識もあはれ
土つみしトロリー押して行き過ぎぬ苦しき表情舌いだしつつ
凍死せる苦力(クリー)は昼迄に埋められて今日もありきただ枯色の窓の中

竜岩浦の精錬所の建設現場を詠んだ歌ですが、植民地における日本人と朝鮮人、さらに苦力(中国人の下層労働者)の身分や差別の構造がよく伝わってきます。
Posted by 松村正直 at 2020年10月05日 20:52
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