どうして城崎温泉を訪れていない斎藤茂吉が、訪れたような話が広まってしまったのか。
その最初のきっかけは『内川村誌』にあったようだ。内川村は兵庫県城崎郡にかつて存在した自治体で、1955(昭和30)年に(旧)城崎町と合併して(新)城崎町となっている。(ついでに言えば、城崎町も2005年に豊岡市や出石町と合併して、今では豊岡市に含まれている。)
その内川村の資料や歴史をまとめた『内川村誌』の「第9編 わが村と文学」に、茂吉の手帳の記述が引用されているのである。内川村は城崎温泉を擁する(旧)城崎町と違ってあまり文化人が訪れる場所ではなかったのだろう。茂吉の手帳に沿線風景が記されているのを、わずかな例として取り上げたのだ。
その後、そこに書かれた内容が引用される過程で、おそらくだんだんと尾鰭が付いていったのではないか。茂吉は城崎町を通過しただけだったのが、いつしか城崎ゆかり人物となり、城崎温泉を訪れたという話になってしまったのである。
2020年09月21日
この記事へのコメント
記事を拝見するのが遅れましたが、おもしろい問題に気づかれましたね。内川村誌のことまでつきとめたのが素晴らしい。
Posted by 中西亮太 at 2020年10月11日 13:14
玄武洞ミュージアムを訪れて斎藤茂吉の名前を見つけたのが、そもそものきっかけです。茂吉の全集を探してもそれらしい歌がなく、きっと近くの城崎温泉を訪ねたついでに足を伸ばしたのだろうと思って調べたところ、城崎温泉の方もアヤシイとわかりました。でも、一度こうして誤情報が世間に広まってしまうと、なかなか訂正するのは難しいですね。
Posted by 松村正直 at 2020年10月12日 17:00
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