歌集『白桃』に、下記のような歌がある。
ひとびとは鮎寿司くひてよろこべど吾が歯はよわし食ひがてなくに
丹波より但馬に汽車の入りしころ空を乱して雨は降りたり
かきくらし稲田に雨のしぶければ白鷺の群の飛びたちかねつ
白鷺がとどろく雨の中にして見えがくれするさまぞ見にける
西北の方より降りて来しものか円山川に音たつる雨
これは昭和9年7月21日に茂吉が大阪から列車で島根県の大田市に行った時の車窓風景を詠んだものである。その行程は「手帳31」に詳しい。
○福地〔知〕山(十一時十二分、ベン当、鮎ずし売ル。/○豊岡〈ベン当〉に近づくころ、大雷雨降る、/○大川〈円山川〉に沿うて走る、帆船浮ぶ 玄武洞駅ノアタリ也 小舟浮ぶ 渡舟也
0時三十三分城崎/○香住〈トマラズ〉コヽヨリ大乗寺ノ応挙ヲ見タリシ也。/
「鮎ずし」「円山川」など、歌に対応する記述が確認できる。
ここで注意したいのは、城崎駅で降りてもいなければ、まして温泉に浸かったりなどしていないことだ。ただ列車で通っただけである。
当日の日記を見ても
七月二十一日 土曜、晴、后大雨
朝八時五分大阪駅ヲタツ。土屋、高安、岡田氏等オクル。途中ヨリ大雨フリ。午后六時五十八分石見太〔大〕田着橋本屋ニ投宿。入浴、食事シ何モセズ寐。雨降リ止マズ。
とあるばかり。城崎温泉のことになど一言も触れていない。
ちなみに大阪駅で見送った人々の中に「高安」とあるが、これは高安国世ではなく母の高安やす子のことである。