石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け
『たかはら』
昭和5年の「近江番場八葉山蓮華寺小吟」の一首。
この歌には詞書がある。
この寺に沢ありて亀住めり。亀畑に来りて卵を生む。縞蛇という蛇、首を深く土中にさし入れて亀の卵を食うとぞ
何とも生々しい話である。
茂吉は「作歌四十年」で、この歌について次のように書いている。
この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである。そこの石亀が陸地にあがって来て卵を生むと、蛇がその卵を呑む事実を、ここの寺の石川隆道さんが話してくれた。亀は卵を呑まれるとも知らず、心を安んじて池に帰ってゆくさうであった。蛇は多分地むぐりという奴で、何でも首をつきさすやうにして亀の卵を発見するさうであった。私はこの話にひどく感動して、いろいろと難儀して作ったがどうにか物になったやうである。
ここで「感動」とあるのは、文字通り深く感じて心が動いたという意味だろう。いかにも茂吉らしい。
さて、今回、蓮華寺の境内を歩き回ってみたところ、3か所に池があった。
本堂前の小さな池。
本堂とつながる庫裡の庭園にある池。
亀の姿は見えなかったが、いただいたパンフレットに「庭園の池でゆったりと泳ぐ鯉と甲羅干しのため池から上がった亀のユーモラスな姿が心を和ませます」と記されている。
本堂の裏手にある鬱蒼とした池。
茂吉が「この寺の裏手に池がある。水も湧き雨水が溜まって幽邃なところである」と書いているのを見る限り、歌に詠まれた亀はこの池のものではないかと思う。