2020年09月09日

蓮華寺(その2)

蓮華寺は鎌倉時代末の元弘3年(1333年)5月9日に北条仲時以下432名が亡くなった場所としても知られている。仲時は京都の六波羅探題北方であったが、後醍醐天皇方に付いた足利尊氏らに攻められ、中山道を通って東国へ逃れる途中で自害したのであった。享年28。

 このみ寺に仲時の軍やぶれ来て腹きりたりと聞けばかなしも
              斎藤茂吉『ともしび』
 北条の軍といふともはばまれて亡ぶる時はこの山の陰
              土屋文明『自流泉』

もっとも、東国まで無事に落ち延びたとしても同じ運命だったのだろう。5月22日には北条氏の本拠地鎌倉が新田義貞らによって攻略され、仲時の父基時をはじめ一族の多くが戦死または自害している。


 P1070985.JPG

北条仲時以下四百三十余名自刃の供養墓碑。

亡くなった方々の姓名と年齢を記した過去帳の写しも本堂内に展示されていて、見ることができる。


 P1080008.JPG

門の前を流れる「血の川」。
今はもう血は流れていない。


posted by 松村正直 at 07:22| Comment(0) | 斎藤茂吉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。