不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
国語の教科書にもよく採られている有名歌だが、「不来方」の部分の読みに注目した。
「不来方」は盛岡の雅称。自分は何者か、何になるのか。その漠とした不安もそこには託されていたかも。
地名・固有名詞である「不来方」に意味を持たせる読みは、以前はあまり一般的ではなかったように思う。例えば、上田博『石川啄木歌集全歌鑑賞』(2001年)では、
不来方のお城―盛岡城とも呼ばれた南部藩の居城。明治維新後廃城。
と書かれているだけだ。
それが、近年少し風向きが変わってきた。
小池光『石川啄木の百首』(2015年)では、
「不来方」の地名がよく効いている。ふたたび来ることのない方。お城が別の名前だったなら啄木はこうは詠まなかったろう。もう二度と来ない、早熟な青春だったから十五歳のこころは空に吸われるのであった。
と、「不来方」にかなり力点を置いた読みを展開している。そう言われてみると、確かにこの歌において「不来方」はかなり決定的な役割を果たしている気がする。