2020年07月23日

軍事力と文化力

角川文庫の巻末には「角川文庫発刊に際して」と題する角川源義の文章が載っている。昭和24(1949)年に角川書店が角川文庫を立ち上げた経緯を記したものである。

第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。
一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。

日本の「戦後」というものを非常によく表した文章だと思う。軍事力で負けた日本が、新たな文化力によって国を立て直していこうというのである。

こうした考え方は、実は明治期の正岡子規とも通じるものがある。

従来の和歌を以て日本文学の基礎とし城壁と為さんとするは弓矢剣槍を以て戦はんとすると同じ事にて明治時代に行はるべき事にては無之候。今日軍艦を購ひ大砲を購ひ巨額の金を外国に出すも畢竟日本国を固むるに外ならず、されば僅少の金額にて購ひ得べき外国の文学思想抔は続々輸入して日本文学の城壁を固めたく存候。

明治31(1898)年の「六たび歌よみに与ふる書」の文章だ。子規の和歌革新のかける情熱は、「日本文学の城壁を固め」たいという思いに支えられていた。

「文学」の話と「軍艦」「大砲」の話は現代の感覚では一見関係がない正反対のもののように思われる。けれども、子規においてはそうではなかった。司馬遼太郎『坂の上の雲』が子規と秋山兄弟の三人を主人公にしたように、近代化やナショナリズムという文脈において、文人も軍人も同じ役割を果たしてきたのだ。

冒頭の角川源義の文章もまた、「戦後」のものではあるけれども、長い目で見れば同じ文脈にあると見て良い。「軍事力」の代わりに「文化力」、あるいは「経済力」によって国を強くしていく、他国と張り合っていくという発想だ。

そこまで考えた時に、ふと小さな疑問がわく。そもそも、なぜ国を強くしなくてはいけないのか。なぜ他国との争いに勝とうとするのか。

その問題は、令和の今もなお残されている。


posted by 松村正直 at 09:48| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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