現在は在日本朝鮮仏教徒協会の傘下にある寺だが、もともとは黄檗宗の邦福寺という寺で、大勢の雲水がいたことから別名雲水寺とも呼ばれていた。
この雲水寺は、かつてアララギの大阪歌会が開かれ、土屋文明や斎藤茂吉も訪れた場所である。
茶臼山雲水寺歌会
ひろき室にもの言ひつかれ終日(ひねもす)に恋ひし日影は夕暮となる
竹村(たかむら)はひとひ日あたれり夕影(ゆふかげ)に池より立ちし鳥のしろけれ
土屋文明『往還集』
これは昭和3年の作品。
また、杉浦明平『明平、歌と人に逢う』には、昭和8年4月に斎藤茂吉が参加して行われた歌会の様子が詳しく描かれている。
会場の茶臼山雲水寺は省線の天王寺駅からそんなに遠くなかった。(・・・)出席者は九十人の盛会だった。
この時の歌会には茂吉以外に、上村孫作、大村呉楼、鈴江幸太郎、樋口賢治、中島栄一、高安やす子といった面々が参加していた。