2020年06月02日

「塔」2020年5月号(その2)

百円で文庫五冊を売ったあと缶コーヒーを買わずに帰る
                     上杉憲一

缶コーヒーを買うとせっかくの百円を使ってしまうことになる。それでは、売った文庫五冊に何だか申し訳ないような気がしたのだろう。

あみだくじをゆっくり辿り降りてきて友のお腹に生まれた
いのち                  松本志李

上句の比喩が印象的。様々な出会いや両親の系図をたどって、ようやく一つの命が宿る。何かひとつ違っていても生まれなかった命だ。

他愛なき争ひ重ね子を叱りあのときわたし輝いてゐた
                     今村美智子

子育て真っ最中だった頃のことを思い出している。心の余裕もなく慌ただしく過ぎて行った日々だが、今から思えば充実した時間だった。

JR四日間乗り放題にて娘は来たり実家を宿に出かけてばかり
                     河内幸子

せっかく帰省してきたと喜んだのも束の間、実家はホテル代わりに寝るだけの場所なのであった。3日間泊まってまた戻っていくのだ。

嫗ひとりバスを降りたり日だまりに野梅こぼるる診療所まえ
                     冨田織江

何でもない場面を詠んで小品の味わいがある。「診療所」が効いている。のどかな風景が浮かび、ゆっくりと流れる時間まで感じられる。

がたんごとんがたんごとんと子を揺らし列車と共に絵本を進む
                     魚谷真梨子

子を膝に抱きながら絵本の読み聞かせをしているところ。身体を揺すりながら、絵本の中の列車に一緒に乗っているような気分になる。

右足でリズムとりつつガラス戸の向こうに大判焼きを焼く人
                     真栄城玄太

黙々と大判焼きを焼く人の足が一定のリズムで動いていることに気づいたのだ。確かにこうした作業は、リズムを取ることが欠かせない。

寒の鱈もらいて捌き食べ尽くす家族四人と猫一匹で
                     生田延子

一匹丸ごと「食べ尽くす」ところに美味しさだけでなく達成感も感じる。結句の「猫一匹」がいい。飼い猫も含めた家族の一体感が滲む。

posted by 松村正直 at 08:06| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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