2020年05月27日

安房北条

啄木の死後、妻の節子は千葉県北条町で療養生活を送り、次女の房江を出産する。「房江」の名前は「房州(安房)」に因んでつけられたものだ。

啄木の編集した雑誌「小天地」を読んでいたところ、細越夏村の小説「痩達磨」にも、この北条町が出てきた。

都大路は、落花の雪に埋もるゝ頃、転地療養にとて、房州は北条の浜辺へ島流し。

東京で肋膜炎を患った主人公が、療養のために房州北条へ行くのである。少し調べてみると、明治・大正期の北条は転地療養の町として知られていたらしい。なるほど、そういうことだったのか。明治42年には療養中の歌人石井貞子のもとを、若山牧水も訪れている。

ちなみに、大正時代に開業した「安房北条駅」は現在の「館山駅」である。

posted by 松村正直 at 20:08| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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