日本語についてのエッセイ15編を収めた本。日本語から見た言語論や文化論でもある。
40年以上前に書かれた本だが、今でも版を重ねている。随所に鋭い洞察があり、ユーモアも辛口の提言もある。こういう味わい深い文章を書ける人はなかなかいないと思う。
もともと日本文の重心は下のほうの動詞にあったのだが、翻訳文化になって名詞に引きずられて重心が上のほうへ移った。近代の日本語がどこか不安定なのは動詞構文がこうして名詞構文化しているところに起因しているのではあるまいか。
シェイクスピアの作品は一般に、たいへんおしゃべりな感じがする。とくに、人の死にあたっての愁嘆のせりふがいかにも口数が多くて迫真感を殺ぐように思われる。(…)そういう特色も、要するに、シェイクスピアの芝居が、戸外を頭においてつくられていることによるのである。
われわれは自分のまわりに他人が侵入してくることを好まないし、ことばですら直接にさわられることを嫌う。むやみに他人の名を呼ぶのは失礼になる。「グッド・モーニング・ビル」「グッド・モーニング・ジャック」だが「おはよう、三郎」「おはよう、健治」は日本語的ではない。
政治のことばは、一般有権者に向っての公的発言と、仲間や後援者を相手にする私的発言との両極に二分されている。これまで日本の政治家は、どちらかと言うと私的発言を中心に活動してきたと思われる。滋味のある座談のできる政治家は相当たくさんいるのに、ひとたび大向うを相手にすると味もそっけもない演説しかできなくて、失望を与えるという例がすくなくなかった。
いずれも思い当たることばかり。言葉の問題は、文章、会話、演劇、生活、政治など、私たちのすべてに深く関わっている。
1976年5月25日初版、2018年12月20日第32版。
中公新書、740円。