2020年03月12日

スペイン風邪

1918(大正7)年から翌年にかけて「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザが大流行した。死者は全世界で5000万人とも1億人とも言われ、日本でも約39万人が亡くなっている。

当時、長崎医学専門学校の教授であった斎藤茂吉も罹患した一人である。大正7年には「はやり風」が長崎でも広まり、茂吉もかなり用心していたようだ。

  長崎歌会 大正七年十一月十一日 於斎藤茂吉宅 題「夜」
はやり風(かぜ)をおそれいましめてしぐれ来し浅夜(あさよ)の床に一人寝にけり

それから一年経っても流行は収まらない。大正8年末には次のような歌を詠んでいる。

  十二月三十日。十一月なかば妻、茂太を伴ひて東京より
  来る。今夕二人と共に大浦長崎ホテルを訪ふ
四歳(よんさい)の茂太(しげた)をつれて大浦(おほうら)の洋食くひに今宵(こよひ)は来たり
はやり風はげしくなりし長崎の夜寒(よさむ)をわが子外(と)に行かしめず
寒き雨まれまれに降りはやりかぜ衰(おとろ)へぬ長崎の年暮れむとす

まだ小さな息子が感染しないように、外へ出ることを禁じている。
けれども、そんな茂吉自身が感染してしまったのだった。翌大正9年の歌。

  一月六日。東京より弟西洋来る。妻・茂太等と共に
  大浦なる長崎ホテルにて晩餐を共にせりしが、予
  夜半より発熱、臥床をつづく
はやりかぜ一年(ひととせ)おそれ過ぎ来しが吾は臥(こや)りて現(うつつ)ともなし

回復までにはかなり時間がかかったようで、「わが病やうやく癒えて・・・」という歌が詠まれるのは「二月某日」のことである。

posted by 松村正直 at 18:27| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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