2020年02月03日

「塔」2020年1月号(その1)

この次は私の子供に生まれたし唐胡麻の花駅へとつづく
                   大橋智恵子

自分の子供に生まれたいという発想がユニーク。単為生殖のようなイメージだろうか。唐胡麻は生け花の花材としても使われるらしい。

数時間あとにはもどる船着き場知らないだれかが手をふって
いる                 岡本幸緒

遊覧船に乗る場面。どこかへ行くのではなく、ぐるっと回って帰ってくる船。こういう時は、なぜか知らない人同士でも手を振り合う。

道を行く人の頭髪じつと見る理容師なれば当然として
                   松島良幸

理髪店を営む作者。店の前を過ぎ行く人の髪の伸び具合が気になるのだ。それを「当然として」と言い切ったところにユーモアも感じる。

山陽線・美祢線・山陰線乗り継ぎ下関から萩へと帰る
                   片山楓子

下関から厚狭、長門を経由して萩へ。同じ山口県内であるにもかかわらず、列車の本数も少ないのでゆうに二時間以上はかかってしまう。

自陣より香車を打てばたちまちに盤の柾目の筋とほるなり
                   清水良郎

香車は縦にだけ進む駒なので、将棋盤の縦方向に真っ直ぐ通った木目が浮き上がるように強く意識されたのだ。駒の働きがよくわかる歌。

なりたくて親子になったわけじゃない子は思うらむ吾も思いき
                   関野裕之

親子関係が何かぎくしゃくしている様子。上句のことを作者自身もかつて親に対して思ったことがあるから、子の気持ちがよくわかる。

ロープウェイに乗れば七分 二時間をかけて登って鹿たちに
会う                 加藤武朗

「七分」と「二時間」の具体的な対比がいい。自分の足で苦労して登ったご褒美のように、登山道の途中で鹿が姿を現してくれたのだ。

我武者羅や釈迦力よりもシンプルにひたむきでいいと思うんだ
けど                 白澤真史

「がむしゃら」や「しゃかりき」を漢字で書くと物々しく肩に力が入った感じになる。そんなに気負わなくてもいいのでは、という思い。

posted by 松村正直 at 07:36| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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