
2009年から2012年までの作品465首を収めた第7歌集。
タイトルは〈広島はデルタ・シティーかうら若き学徒の父の視界あかるむ〉という一首があるように広島のこと。被爆した父や広島を訪れた時の歌が第3章にまとめられている。
うつすらと光りて乳房のやうな雲ゆれて流れてしたたるやうな
ほつほつと白き十薬みひらける森ゆく昭和の子供となりて
宴まだつづきてをらむ一筋の糸ひくやうにこころは残る
べたなぎの水のくるしさ出口なき奥浜名湖に澪ひく船は
ふきだまりのはなびら掬ふ白々とやはき人肌のやうな温もり
この頃もまだアフガン戦争中だった
寡黙なる医師のワトソン見てきたるものは底なしアフガン帰り
読み通す夜は長しも『黒い雨』いつしか被爆の街ゆくやうに
洗ひてもあらひても消えぬ雨の跡ページ繰る手にまつはりやまぬ
九州の訃報は人よりひとをへて寒のもどりの東国に落つ
動かねど鯉のむなびれ休みなくひらめきてをり止(とど)まるために
1首目、雲を詠んだ歌だが描写が肉感的。
3首目、宴会を途中で退席した名残惜しさ。
5首目、散り積もった桜の花びらが日を浴びてほんのり温かい。
6首目、ホームズの友人ワトソンは軍医として第二次アフガン戦争(1878〜1881)に従軍し、負傷して帰国したという設定。今に至るまで何度も戦争が続いている。
7・8首目は、井伏鱒二『黒い雨』を読みながら、小説の中へ入り込んでいく感じ。被爆した父もその町にいたのだ。
2019年7月7日、本阿弥書店、3000円。