2020年01月03日

『わたしの城下町』のつづき

「三種の神器」と「ポツダム宣言受諾」の関わりを、この本で初めて知って衝撃を受けた。ポツダム宣言受諾に関する天皇自身の言葉が引かれている。

敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい
               『昭和天皇独白録』

同じく、木戸幸一内大臣は阿南惟幾陸軍大臣に対して、本土決戦計画を批判して次のように発言している。

君若し敵に上陸されて了つて三種の神器を分取られたり、伊勢大廟が荒らされたり、歴代朝廷の御物がボストン博物館に陳列されたりしたらどうするつもりなのか。
             『木戸幸一日記 東京裁判期』

戦前・戦中の日本の体制や思想について、ある程度は理解しているつもりだったのだけど、こういうことが真剣に議論されていた事実には強い驚きを覚える。

三種の神器を奪われるという発想は、南北朝の争乱の頃だったらわかるけれど、これは1945年の話なのだ。実際のアメリカ軍はそんなこと考えもしなかっただろう。

posted by 松村正直 at 09:34| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
新年おめでとうございます。おもしろそうな本ですね。読みたくなりました。三種の神器がどれほど重大なものと見なされているか、今日でも我々庶民の感覚の及ばないものがあるようです。ただ、それとは別に、戦争末期に宮中が三種の神器に言及したのは、軍部を牽制する論争術でもあったのではないでしょうか。これを出されたら軍部としてもやはりよく考えないといけないですから。
Posted by 中西亮太 at 2020年01月04日 15:20
なるほど、「軍部を牽制する論争術」という側面もあったのでしょうね。『私の城下町』の中でも、引用部分に続いて「阿南は答えに窮したという。この時点で、もはや敵の上陸を阻止するだけの防衛力を、陸軍も海軍も持ち合わせていなかったからだ」とあります。

皮肉な言い方をすれば、「三種の神器のおかげで本土決戦が防がれた」ということになるのかもしれません。
Posted by 松村正直 at 2020年01月05日 10:04
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