2019年12月08日

「朝日新聞」10月20日の短歌時評をめぐって

「朝日新聞」10月20日の短歌時評「「歌は人」でいいのか」について、下記の文章の中で言及していただいた。

・永田和宏「流行を追わず」(「角川短歌年鑑」令和2年版)
・恒成美代子「短歌における人間」(「うた新聞」12月号)

時評は分量が短く問題提起だけしかできなかったので、私の考えを少し書いておきたい。

「作品は作品として自立しているのであって、作者の人生とは関係ない」という考えと「作品と作者は不即不離の関係にある」という考えに分けた場合、私自身は後者に近い立場にいる。それは、これまでの作品を見てもらえればわかる通りだ。

けれども、だからと言って「歌は人」と結論付けてしまうことには抵抗があるし、そういう「開き直り」は短歌をつまらなくしてしまうと思う。二つの考えの間の緊張感があってこそ、短歌は豊かになるのではないだろうか。



posted by 松村正直 at 19:56| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご高見を拝読して、「秋来ぬと目にはさやかに」の作者・藤原敏行が死んでから地獄に堕ちたという『今昔物語』のエピソードを思い出しました。不浄の身で何百巻も写経をしたことが罪状のようですが、ひょっとしたら、人間的に少々問題のある人だったのかもしれません。
千年以上も愛誦されてきた歌というのは、作者の人となりや人生とは関係なく、歌そのものの力に因るものだと思う反面、近代以降、子規が形骸化した古今的様式美を否定した後は、歌と人とは、程度の差こそあれ、やはり分かち難いものになっていると思います。
Posted by 小竹 哲 at 2019年12月10日 19:47
小竹さま、コメントありがとうございます。
歌と作者の関係は、和歌と短歌でまた違いますね。そのあたりも考え始めると面白い問題です。

Posted by 松村正直 at 2019年12月12日 23:11
これまで私は単純に「短歌は和歌の一形態で、実体は≒である」と考えていましたが、和歌(やまとうた)たる古典短歌と現代短歌とは、形式が同じで、現代短歌が古典の修辞を借りることはあっても、基本的に両者は別物と考えたほうがいいということですね。目からウロコです。
ご教示ありがとうございました。
Posted by 小竹 哲 at 2019年12月13日 06:40
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