副題は「思想への望郷 文学篇」。
全体が「啄木を読む」「太宰・中也を読む」「鏡花を読む」「乱歩・織田作之助・夢野久作を読む」「江戸を読む」の五章になっている。寺山が近世・近代の文学について書いた文章を対象ごとに整理してまとめた一冊。
どの文章にも寺山ならではの鋭い分析や考察があり、随所に皮肉が効いている。
啄木の歌には多くの「脇役」たちが登場する。山羊鬚の教師や、刑務所へ行った同級生、娘を売った金で酒をのんでいる父親、極道地主、気の狂った役場の書記……。
これは物語性の強い寺山の短歌を考える上でも大切な指摘だろう。
ところが、わが国のかくれんぼ、鬼ごっこ、そして手毬つきなどは、反復と転生によって生きのびてきた農耕民族の作り出した、家のまわりの遊びである。はじめから境界という概念がなく、ただくりかえす。
西洋の遊び・スポーツと比較しての文化論。確かに、かくれんぼや鬼ごっこには勝者も敗者もなく、ひたすら繰り返すばかり。
死という字は、どことなく花という字に似ていたために、私は学校で花を死と書きまちがえて叱られたことがある。
そう言われれば確かによく似ている。でも、「学校で」というエピソードは寺山流の作り話ではないか。
2000年4月18日、ハルキ文庫、700円。