
2016年から18年までの作品453首を収めた第10歌集。
木枯しに睫毛が震うさびしさはたとえば火星の衛星フォボス
鉄骨に火花散らして鋲一つ打ち終え人は空を渡れり
利根川の水面(みなも)を跳ねて鯔(ぼら)の子は一瞬見たり花散る岸を
肝胆の一つ喪い我が肝の虚しく闇を照らしているや
出張の飛行機の中で見し映画Princess Mononoke英語を話す
海望む硝子工房 青年が小さき太陽孵(かえ)していたり
皿の上(え)の鰈を表の十の字の切れ目より割(さ)く 冬の箸もて
硝子戸に結露が流れその細き筋の向うに雪が降りいる
櫨(はぜ)の実を蒸して絞りて能登びとは蠟を作りき冬の夜なべに
手斧(ちょうな)跡しるく残れる梁の下 馬の草鞋というが下れる
1首目、身体に近いものと、はるか遠いものとの取り合わせ。
2首目、結句「空を渡れり」がいい。高所で作業している人の姿。
3首目、川岸の桜の散る光景が一瞬目に映っただろうという想像。
4首目、胆のうの摘出手術を受けた場面。「肝胆相照らす」という慣用句を踏まえて、照らす相手を失った肝臓をイメージしている。
5首目、映画「もののけ姫」の英語版。違和感と面白さと。
6首目、下句が吹きガラスで成形している場面を描いて鮮やかだ。
7首目、細かな描写に手の動きが見えてくる。そして季節感も。
8首目、窓は曇って結露が流れた部分だけが透明になっているのだ。
9首目、ふるさと能登に寄せる思い。冬の厳しい気候が思われる。
10首目、五箇山の合掌の里を訪れた際の歌。「馬の草鞋」がいい。
連作では「若草の色」14首が印象に残った。言いにくい話があって相手をレストランに呼び出す一連で、食事をしながら本題に入るまでの緊迫感がよく伝わってくる。
2019年7月21日、砂子屋書房、3000円。