廃屋のベランダにもたれ過ぎ去りし春を見つめるくまのプーさん
佐々木千代
黄色いプーさんのぬいぐるみがベランダに残されている。置かれたままの姿で廃屋とともに朽ちていく。楽しかった日々のことを思い出しながら。
波切に来て道を聞くとまかげして指差す人は風にゆれゐる
久岡貴子
波切(なきり)は三重県志摩市の漁港。旅に来て地元の人に道を尋ねている場面。人物の動きから風や日差しの強さが感じられ、映像的な一首。
うっすらと気配としてのみ過ぎてゆく街は文庫のページのうえに
中田明子
電車の中で文庫本を読んでいる場面。車窓の風景を見ているわけではないが、開いた本のページを過ぎていく光や影に、街の気配を感じている。
屈託なく童話が好きと言う人にわたしの好きな童話明かさず
朝井さとる
「明かす」ではなく「明かさず」なのがいい。歌が数段ふかくなる。童話と言っても単に楽しいものばかりではない。軽々しく話せることではないのだ。
屋内へと白衣の男消えにけり朝の路上にサトちやんを据ゑ
益田克行
薬局の店頭に置かれているゾウのキャラクター、サトちゃん。「薬局」と言わないのがいい。店員の白衣とサトちゃん人形のオレンジ色が目に浮かぶ。
ラーメン屋〈雪〉に入りたり本当はカナダ料理を食べてみたいが
星野綾香
格安のスキーツアーでカナダを訪れた作者。ゆっくりした旅ではないので、観光客向けの店に入ったのだろう。「雪」という名前がいかにも安っぽい。
にわか雨上がった後に光りたりうろこ模様の尾道のみち
山名聡美
「うろこ模様」は坂道のすべり止めかや石畳などだろうか。雨に濡れて光っているのが美しい。「尾道」という地名に「みち」が入っているのがポイント。
補助イスでは眠るも出来ずカーテンで景色も見えぬ帰省のバスに
川井典子
窮屈なバスの補助席。おそらく長時間乗るのだが、以前はそんなに混むことのない路線だったのだろう。せっかくの帰省が帰り着く前に疲れてしまう。