2019年09月10日

「塔」2019年8月号(その1)

 廃屋のベランダにもたれ過ぎ去りし春を見つめるくまのプーさん
                           佐々木千代

黄色いプーさんのぬいぐるみがベランダに残されている。置かれたままの姿で廃屋とともに朽ちていく。楽しかった日々のことを思い出しながら。

 波切に来て道を聞くとまかげして指差す人は風にゆれゐる
                           久岡貴子

波切(なきり)は三重県志摩市の漁港。旅に来て地元の人に道を尋ねている場面。人物の動きから風や日差しの強さが感じられ、映像的な一首。

 うっすらと気配としてのみ過ぎてゆく街は文庫のページのうえに
                           中田明子

電車の中で文庫本を読んでいる場面。車窓の風景を見ているわけではないが、開いた本のページを過ぎていく光や影に、街の気配を感じている。

 屈託なく童話が好きと言う人にわたしの好きな童話明かさず
                           朝井さとる

「明かす」ではなく「明かさず」なのがいい。歌が数段ふかくなる。童話と言っても単に楽しいものばかりではない。軽々しく話せることではないのだ。

 屋内へと白衣の男消えにけり朝の路上にサトちやんを据ゑ
                           益田克行

薬局の店頭に置かれているゾウのキャラクター、サトちゃん。「薬局」と言わないのがいい。店員の白衣とサトちゃん人形のオレンジ色が目に浮かぶ。

 ラーメン屋〈雪〉に入りたり本当はカナダ料理を食べてみたいが
                           星野綾香

格安のスキーツアーでカナダを訪れた作者。ゆっくりした旅ではないので、観光客向けの店に入ったのだろう。「雪」という名前がいかにも安っぽい。

 にわか雨上がった後に光りたりうろこ模様の尾道のみち
                           山名聡美

「うろこ模様」は坂道のすべり止めかや石畳などだろうか。雨に濡れて光っているのが美しい。「尾道」という地名に「みち」が入っているのがポイント。

 補助イスでは眠るも出来ずカーテンで景色も見えぬ帰省のバスに
                           川井典子

窮屈なバスの補助席。おそらく長時間乗るのだが、以前はそんなに混むことのない路線だったのだろう。せっかくの帰省が帰り着く前に疲れてしまう。

posted by 松村正直 at 23:40| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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