激戦地の一つだったハーフムーンという森は、区画整理により住宅地や道路に変わった。同じく激戦地だったシュガーローフの丘も、当時を偲ばせるものはほとんどなく、ようやく貯水タンクの側に小さな碑文を見つけたくらいだ。
戦争の記憶をコンクリートで塗り固め、その上に商業施設を建てていく。この場所は、まるで戦後日本そのもののように思えた。
そう言えば、知花くらら歌集『はじまりは、恋』にもこんな歌があった。
沖縄戦で那覇が激戦地に
こつそりと買ひ食ひをした通学路はハーフムーンとよばれし場所
シュガーローフの丘にはビルが建ち並ぶ傷あとおほふかさぶたの
ごとく
ハーフムーンもシュガーローフも、沖縄戦でアメリカ軍が付けた名前。ハーフムーンは半月形の丘という意味で、沖縄では大道森(ダイドウムイ)と呼ばれていた場所である。
一方のシュガーローフは円錐形の砂糖菓子の名前で、沖縄での呼び方は慶良間チージ。日本軍は安里52高地と名付けていたが、これは標高が52メートルであったためである。
こうした地名や呼び方にも、戦争の記憶は刻み込まれている。