伝馬船には舵取りとハンターが乗っており、ハンターがライフル銃で流氷の上のアザラシを撃つのだ。
この海豹猟は、漁業の中では非常に特殊な側面をいくつか持っていた。
一つには、氷上の海豹を撃ち落とすという行為で、日本の漁業技術というよりは、北方民族の狩猟に近い。こうした背景もあり、網走在住の北方系少数民族の方々も、この海豹猟に従事していた。
「北方系少数民族」という文字に、思わず目が引き付けられる。
これらの方々は、おそらく第二次世界大戦前に、南樺太において皇民化政策の一環として作られた “オタスの杜” に居住していたウィルタの方々と思われる。つまりオロッコ族やギリヤーク族で、戦後、日本居留民と共に北海道東部へ引き揚げた方々、もしくはその子弟であった。
やはり、戦後に樺太から北海道へ移って来た方々であったか。
引き揚げとは言っても、樺太に生まれ育った彼らにとって北海道は異国の地である。そこでアザラシ猟をしていたウィルタの人々。彼らの人生の変転を思うと胸が痛む。