2019年07月18日

ウィルタのアザラシ猟

『クジラ博士のフィールド戦記』の中に、1975年にオホーツク海・サハリン沖で行われていた母船式アザラシ猟の話が出てくる。母船には3〜4隻の伝馬船が積まれていて、アザラシのいる海域まで来ると海に降ろされる。

伝馬船には舵取りとハンターが乗っており、ハンターがライフル銃で流氷の上のアザラシを撃つのだ。

 この海豹猟は、漁業の中では非常に特殊な側面をいくつか持っていた。
 一つには、氷上の海豹を撃ち落とすという行為で、日本の漁業技術というよりは、北方民族の狩猟に近い。こうした背景もあり、網走在住の北方系少数民族の方々も、この海豹猟に従事していた。

「北方系少数民族」という文字に、思わず目が引き付けられる。

 これらの方々は、おそらく第二次世界大戦前に、南樺太において皇民化政策の一環として作られた “オタスの杜” に居住していたウィルタの方々と思われる。つまりオロッコ族やギリヤーク族で、戦後、日本居留民と共に北海道東部へ引き揚げた方々、もしくはその子弟であった。

やはり、戦後に樺太から北海道へ移って来た方々であったか。

引き揚げとは言っても、樺太に生まれ育った彼らにとって北海道は異国の地である。そこでアザラシ猟をしていたウィルタの人々。彼らの人生の変転を思うと胸が痛む。

posted by 松村正直 at 23:56| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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