2019年06月23日

短歌と民俗学

宮本常一『辺境を歩いた人々』は、民俗学の先駆者とも言うべき4名の人物についての本であるが、何か所か和歌の話が出てくる。

玉鉾(たまほこ)のみちのく越えて見まほしき 蝦夷が千島の雪のあけぼの

これは松浦武四郎が蝦夷地に旅立つ際に、藤田東湖から贈られた歌。
「玉鉾の」は「みち」に掛かる枕詞で、東北を越えて北海道の島々の雪の降る夜明けを見てみたいとの意味である。

我死なば焼くな埋めな新小田(にいおだ)に 捨ててぞ秋の熟(みの)りをば見よ

こちらは松浦武四郎が函館で病気になって寝込んでいた時の歌。もし自分が死んだら焼いたり埋めたりせずに田んぼに打ち捨てて秋の実りを見なさいという内容で、北海道の土になる覚悟を示している。

他にも菅江真澄の話の中で

みちのくの尾駮の駒は和歌の題材であり、真澄はこの十年ばかり心にかけていました。いまその近くまでやってきたのですから、なによりもうれしかったのでした。
日記の中に和歌の多いのは、歌のやりとりがそのころの文化人の交際のしかたでもあったからでした。

といった記述がある。
また、巻末の宮本常一略年譜にも

1933年 26歳 ガリ版雑誌『口承文学』を編集刊行。短歌を詠む。

とあり、宮本が短歌を詠んでいたことを初めて知った。折口信夫(釈迢空)や柳田国男を例に挙げるまでもなく、短歌と民俗学には強い親和性があるのだろう。

posted by 松村正直 at 23:46| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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