北の果てにさらに北して船出する石榑千亦五十九歳
心の花昭和三年十一月号にうねりて光る樺太の河
風景の記憶となりて歌にあり露人の庭に咲く秋の花
エッセイには拙著『樺太を訪れた歌人たち』を読んだことが書かれていて、有難かった。石榑は奥田さんにとって「心の花」の遠い先輩に当たる。
「心の花」昭和3年11月号掲載の石榑千亦「樺太にて」114首は、とても意欲的な一連だ。
露人の家
丸木つみ重ねたてたる家にのこりゐる露人のさだめ思へば悲し
帰るべき国もなけれか草花をうゑはやしたり家のまはりに
ひとの国と今はなりつれのこりゐて花などうゝるかなしき心
花をうゑて涙つちかふ親の心しるには未だ幼き子なり
1905年のポーツマス条約によって南樺太が日本領になった後も、北樺太やロシア本土に引き揚げずに残ったロシア人=「残留ロシア人」を詠んだ歌である。
今から90年以上前の歌であるが、こうした悲哀は世界中のあちこちにあったし、今現在もある。あるいは、例えば北方領土問題を考える際にも関わってくる話である。島がもし日本に返還された場合、そこに住むロシアの人たちをどうするのか。そうした点も意識しておく必要があるだろう。