第6歌集。
巻頭に「フィルムを巻き戻すように時間を遡り、ひとつの、命に出会いたいのだ。」という一文があり、母の死を詠んだ連作「Place to be」から始まって逆編年の構成となっている。
母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫でてゐるなり
なんにもないところですよと言ふ人と青銅のやうな太平洋見る
那智の滝シャッターに捉ふそののちを少しゆらぎて滝立ち直る
駅前の楠木切られ忽然と深井となりし夏空ひらく
黒いタクシー白いタクシー集ひてはつぎつぎ動くオセロのやうに
駅前の裸婦像は子供産みしことある体なり雨に濡れつつ
包帯を巻かるるやうに丁寧に和紙に覆はれねぷた暴るる
いはゆる、一人の、老人のやうに杖をつき謝るやうに母は歩み来
ひとりふたり手紙返せぬままの人こころに延泊してもらひつつ
酸素マスクの中に歌はれ知床の岬は深き霧の中なり
1首目、母の延命処置を断った後の歌。「死なす」が重い。
2首目、「青銅のやうな」という比喩が印象的。
3首目、シャッターを押す瞬間動きを止めた滝が再び動き始める。
4首目、木の無くなった後の空間を井戸に見立てている。
5首目、駅前の乗り場で客待ちをするタクシーの列。
6首目、同じ裸婦像でも体型は様々だ。
7首目、勇壮なイメージのねぷただが、木と針金と和紙でできている
8首目、いかにも老人という感じになった母の姿。
9首目、返事を書こう書こうと思いつつ書けないのだ。「延泊」がいい。
10首目、病床の母が歌う「知床旅情」。酸素マスクが曇るのだろう。
2019年4月10日、砂子屋書房、3000円。