髪垂れてむすめの眠る部屋に入りスティック糊をちょっと借ります
早春の道に小さく足縮め花より先に死にし蜜蜂
児洗(こあらい)というバス停の過ぎゆけり百済伝説残りいる道
舟二つすれちがうほどの川にしてすれちがうなら木の軋む音
病むひとは遠くに粥を食べており少し残すと朝(あした)の雨に
二(ふた)しずくずつ減ってゆく目薬のわずかとなりぬ夜の机に
幼な子が顔を出したり見つめれば座席の裏にひゅっと沈みぬ
窓に付くしずくしずくに灯の入りて山裾の町にバスは下りゆく
命なき母のからだに下がりたる尿袋(にょうたい)へ朝の光はとどく
死ののちに少し残りし医療用麻薬(フェンタニル) 秋のひかりのなか返却す
1首目、口語の「ちょっと借ります」がいい。娘に話し掛けている感じ。
2首目、「足縮め」という描写や「花より先に」という把握が決まっている。
3首目、「バス停を」ではなく「バス停の」。車窓を過ぎてゆくバス停。
4首目、川幅の表現が独特。すれ違う舟の動きが見えてきそうな歌だ。
5首目、「遠く」は心理的な遠さだろう。食欲がなくて全部は食べられない。
6首目、わずか二滴ずつではあるが、それでも確実に減っていく。
7首目、電車の前の席に座る子ども。「ひゅっと」に動きが見える。
8首目、車窓に付いた雨粒の一つ一つが町の灯を映しているのだ。
9首目、母の亡くなった朝の光景。生きていた証のように尿袋がある。
10首目、もう使うことのない痛み止めの麻薬。それを返却する寂しさ。
2019年3月21日、書肆侃侃房、2000円。