2019年05月01日

大逆事件

「大逆事件」と言うと普通は1910(明治43)年の幸徳秋水ら12名が死刑になった事件を指すが、戦前に大逆罪に問われた事件は他にも3つある。

 1923年 虎ノ門事件(難波大助が死刑)
 1925年 朴烈事件(朴烈は死刑判決後に恩赦で無期懲役、
        金子文子が獄死)
 1932年 桜田門事件(李奉昌が死刑)

これらはすべて、当時の刑法第73条「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」に該当するとされた事案だ。

おととい、お茶の水女子大学附属中に包丁が置かれた事件で、56歳の男が逮捕された。この男は戦前だったらどんな処罰を受けただろうか。

悠仁さんは皇孫(天皇の孫)ではあるけれど皇太孫(皇嗣、かつ天皇の孫)ではない。ということは刑法第73条には当てはまらない。

調べてみると、刑法第75条に「皇族ニ対シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ処シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ処ス」とあった。この条文のうち「危害ヲ加ヘントシタル者」に問われた可能性はある(危害を加える意図はなかったと思うが)。その場合は無期懲役だ。

今回も当然、建造物侵入や銃刀法違反の罪にはなるけれど、相手が誰であったかということで処罰の大きさは変らない。そこが戦前との大きな違いである。
posted by 松村正直 at 09:35| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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