副題は「言葉の魔術師」。
白秋の生涯をたどりつつ、その多彩な作品を用語に注目して読み解いた一冊。
読書には流れというものがあって、しばらく前から積んだままになっていた本書を読むタイミングが来た。樺太を調べていても啄木を調べていても、白秋は避けて通ることができない。
我々の心持ちには、単に言葉で云ひ現はすことの出来ない、いろいろ複雑に入組んだ心持ちがある。それを、只、悲しいとか、苦しいとか、愁(つら)いとか、簡単な、慣習的な言葉で言ひ現はして了はずに、その複雑に入組んだ心持ちをその儘(まゝ)、作品全体に漲(みな)ぎる気分の上に現はして、読者の胸に伝へることだ。
洗練に洗練を経るほど、磨けば磨くほど私は厳粛になつた。一字一句の瑕疵も見逃(のが)せなかつた。或時は百首の内九十九首を棄て、十首の内九首を棄てた。或時はたつた一句のために七日七夜も坐つた。ある歌のある一字は三年目の今日に到つて、やつと的確な発見ができた。それは初めから的確にその字で無ければならなかつたのだ。
明治43年の「新しき詩を書かんとする人々に」と大正10年刊行の歌集『雀の卵』の序文からの引用である。どちらも今でも十分に通用する内容と言って良い。
白秋が大正14年に樺太、昭和4年には満蒙、昭和9年には台湾、昭和10年には朝鮮を訪れたことに触れて著者は、
つまり白秋は樺太、満蒙、台湾、朝鮮と、日本がこの時期に拡大していった版図をいわばもれなく訪れている。白秋は自身の感覚によって、「大日本帝国」の版図をとらえていた可能性がある。
と述べている。これは、国家や戦争と白秋との関わりを考える上で大事な指摘かもしれない。
あとがきで著者は自分の父や母の思い出について書いている。そこには、国語学者の山田孝雄を祖父に持つ矜持と微妙な鬱屈とが滲んでいるように感じた。
2017年2月21日、岩波新書、880円。